交流のお願い 保護者 2016年3月7日(月) 11:16 |
鳥羽商船高専のOBの方々 是非とも、今の現役寮生の学生たちとの 交流をお願いいたします。
ここ最近、鳥羽商船高専の学生の皆さんも 海技士1級2級の取得者を多く排出し 他の学科もコンテスト入賞等活躍が目覚しいです。
そんな、学生の皆さんと交流していただきたいです。 よろしくお願いします。 |
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学友制回顧(返信・御礼) S44 本科卒 大隅 克義 2016年3月7日(月) 11:28 |
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大窪さん
その後の学友制度の推移ご説明ありがとうございます。古い話ではありましたが、少なくとも何十年かは、良き伝統が私よりかなりの先輩諸氏から後輩諸氏に受け継がれていたのだということが判り何か安心しました。また、静岡県という私と同じ出身地でもある御前崎地区において、当該制度の良き伝統の継承が、現在でも息づいていることに感銘を受けました。
『学生規心(至誠一貫・率先敢闘・和心一致・責任完遂)、船乗りのモットー(船乗りはスマートで目先が利いて几帳面、これぞ船乗り)』 白菊寮から卒業して以来、一度も口にしたことはありませんが、私も今でも諳んじることが出来ます。15歳の少年だったワタシの心の奥底の壁に、深く刻み込まれた記憶の刻印となったのは確かのようです。
しかしながら、その後の人生においてはそのようには殆ど実践出来ず、まさしく「光陰矢の如し」で人生のラストランに入っています。けれども、運良くラストシーズンまで迎えたわけですから、率先敢闘・和親一致くらいはチャレンジしてみます。
仔細なことで恐縮ながら、「寮生活で、3年生=神様/2年生=普通/1年生=奴隷と揶揄」と記述しましたが、「2年生=人間」が正しかったようです。もちろん、これは極端な揶揄であり、1年生であっても、それなりに楽しい寮生活を送っていました。
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学友制懐古 大窪 斎 2016年2月28日(日) 23:05 |
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大隅さん
学友制度についてのご寄稿、感慨深く拝見いたしました。私が入学した昭和49年当時も、非公認のその制度は寮生のあいだに深く侵透しておりました。 私がお世話になった「学友さん」も出身中学(静岡県御前崎中)の先輩が就いてくださり、寮生活にあたっての様々な指導をいただき、若干15歳で親元から遠く離れ、団体生活を始める身にとって心から頼れる存在でした。入寮と同時に手渡された紙切れには、@上級生に対する自己紹介の台詞、A学生規心(至誠一貫・率先敢闘・和心一致・責任完遂)、B船乗りのモットー(船乗りはスマートで目先が利いて几帳面、これぞ船乗り)、C鳥羽商船校創設者・創立年月日 などがメモ書きされていて、この直後に行われる怖い3年生との対面式(大勢の上級生に囲まれるなか直立不動で行う自己紹介)や、“夜廻り”と称される深夜の歓迎儀式に備えて必死に諳んじたことが想い起されました。 さて、その学友制度ですが、我々の後輩にも引き継がれていったことは確かです。ただ、我々が2年生に進級する頃に寮制改革があり、新入生の相談役として指導学生(4年生のなかから任命)が置かれることになり、学友制度は本来の意味を失っていったと思われます。 名ばかりとなった学友制度ではありますが、私自身は3学年後輩(ひ孫)まで家系譜を辿ることができます。1年後輩には出身中学からの入学者がなかったのですが、その後は同窓が続き、孫、ひ孫と御前崎出身者で家系を引き継いでいただけました。
余談ではありますが…… 今や上の学友さん、孫、ひ孫とも地元に落着き生計を立てておりますが、卒業後の交遊は殆どありませんでした。ところが7年ほど前、上の学友さん(増田さん)とひ孫(森田君)と私の3人が中学のPTA役員を拝命することになり、鳥羽商船学友とその子息たち...の偶然の巡り会わせに驚くとともに、愉しく役員任期を全うすることができました。ちなみにPTA会長は森田君が務め、素晴らしいリーダーシップで運営していただきました。 |
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