国立鳥羽商船77期生同期会開催 岩崎 敏壽 同窓会事務局より 2016年11月18日(金) 11:24 |
こちらの岩崎様の記事は本年5月10日に事務局に届いておりましたが、事務局引越しの際、行方がわからなくなってしまい会報への掲載とホームページへの掲載が出来ておりませんでした。申し訳ございません。 遅くなってしまいましたが、ホームページへの掲載と来年度の会報に掲載させて いただきます。
平成27年10月14日1400時、晴れ渡った秋空のもと、青春の思い出が一杯詰まった母校鳥羽商船に18名の 同期生が参集。五年振りの再会にやぁ、やぁと笑みがこぼれる。 江崎同窓会事務局長、武部君(80期)等の出迎えを受けた後、石田副校長に校内を案内してもらう。 最初に同窓会会館(100周年記念資料館)内の展示品の説明を受け、飾られた東郷元帥揮毫の書等に 母校の歴史の重みを感じ、古びた操舵装置や機関の模型などを目にして懐かしさがこみ上げてくる。 次に練習船鳥羽丸見学、同船のブリッジやエンジンルームに装備された最新の計器、機器類(ECDISやAIS付レーダー等) に目をみはり、学生が社船に乗船した時にすぐに対応できるようにしてあるとの先生の説明を聞き、今の学生は幸せだなあと思う。 焼玉エンジンを装備した小艇、龍丸で達着訓練した時アスターンが入らず前の砂浜に乗り上げたこと、同船を母船として伊勢湾を 巡航したことなど懐かしく思い出す。 その後校内に移動、ここでも充実した実習設備、素晴らしい寮内施設(二人部屋等)を見て隔世の感を抱く。 校内見学では石田副校長がとても丁寧に案内してくれたことと、後半は皆少しバテ気味となりスローペースの 移動になった為時間をとり、予定を大巾にオーバーし約2時間余りを要したがとても思い出に残るものとなった。 (アテンドして頂いた石田先生や段取りして下さった江崎、武部御両名に深謝いたします) この後安楽島にある鳥羽シーサイドホテルに移動、1630時過ぎチェックインし眼下に広がる蕪子水道(安楽島と坂手島、菅島間の狭水道) などの素晴らしい景色を眺めながら一風呂浴び1800時宴会開始。 鯛の姿造りを前に全員で記念写真を撮り新来島ドックで活躍する黒崎君の音頭で再会を祝し乾杯、既に鬼籍に入った20名(約三分の一)の 御冥福を祈った後お料理とお酒を楽しむ。 宴会が始まるとすぐに50有余年の時空を一挙に飛び越え気分は元気溌刺とした学生時代に。賄いのおばちゃんが大きな岩塩を放り込んで 朝の味噌汁を作っていたこと、カッターで漕ぎだしたところ強い北風と逆潮に阻まれ帰校出来ず遭難しそうになったこと、マドンナ、ゲットに 情熱を注いだこと、伊勢湾台風(伊勢湾一帯に甚大な被害をもたらし死者、行方不明者約五千名を数える)で寮の屋根瓦が飛び、窓ガラスが 破れ、床上浸水した為全員食堂に非難することになったが周囲の状況を確認している間に食堂が全壊し命拾いしたこと、同台風の為約一か月 余り休校となり授業日数不足となった為、体育祭、カッターレース大会、修学旅行が中止されたこと等、等、話題は尽きずその後は健康維持 の話が中心になる。 お酒片手に席を移動しながら思い出話、近況等を語り合ううちにあっという間に楽しい時間は過ぎ、最後に全員で力強く寮歌を歌い江藤君の 鳥羽商船77期生万歳三唱で9時散会。 席を変え2次回となったが皆疲れの為かお酒も余りすすまず、24時前には床につく。お酒飲み放題のプランはあまり効果を発揮せず。 翌15日朝、ゴルフ組、観光、帰宅組に分かれ元気でなと、声を掛け合いながら散会。 我々77期生の同窓会は古希の祝いを兼ねた前回の集まりから5年振りに開催されたが、おそらく今回が最後(最後の修学旅行)になるだろうと 思われる。スマートな制服に身をつつみ颯爽と街中を闊歩した紅顔可憐な美少年も今は年齢相応の爺っちゃんになり、何人かの現役を除いて ファイナルステージを迎えようとしていることを考えれば致し方ないのかなと思う。が、そう言わずにまた皆で会おうよとの声もあったので 健康維持に留意し次の機会を得ることが出来ればと願う次第である。 (出席者N科、江藤、大西、佐藤、中西、村田、岩崎、E科、伊藤、江川、大滝、加藤(和)、北村、黒崎、小平、染谷、塚中、内藤、西村、三好)
(岩崎 記)
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