同期生訃報  橋本 啓  2016年11月18日(金) 13:36
第81期生の船橋春雄氏は去る10月7日死亡しました。家族から連絡あり。
合掌。

 国立鳥羽商船77期生同期会開催  岩崎 敏壽 同窓会事務局より  2016年11月18日(金) 11:24
こちらの岩崎様の記事は本年5月10日に事務局に届いておりましたが、事務局引越しの際、行方がわからなくなってしまい会報への掲載とホームページへの掲載が出来ておりませんでした。申し訳ございません。
遅くなってしまいましたが、ホームページへの掲載と来年度の会報に掲載させて
いただきます。


平成27年10月14日1400時、晴れ渡った秋空のもと、青春の思い出が一杯詰まった母校鳥羽商船に18名の
同期生が参集。五年振りの再会にやぁ、やぁと笑みがこぼれる。
江崎同窓会事務局長、武部君(80期)等の出迎えを受けた後、石田副校長に校内を案内してもらう。
最初に同窓会会館(100周年記念資料館)内の展示品の説明を受け、飾られた東郷元帥揮毫の書等に
母校の歴史の重みを感じ、古びた操舵装置や機関の模型などを目にして懐かしさがこみ上げてくる。
次に練習船鳥羽丸見学、同船のブリッジやエンジンルームに装備された最新の計器、機器類(ECDISやAIS付レーダー等)
に目をみはり、学生が社船に乗船した時にすぐに対応できるようにしてあるとの先生の説明を聞き、今の学生は幸せだなあと思う。
焼玉エンジンを装備した小艇、龍丸で達着訓練した時アスターンが入らず前の砂浜に乗り上げたこと、同船を母船として伊勢湾を
巡航したことなど懐かしく思い出す。
その後校内に移動、ここでも充実した実習設備、素晴らしい寮内施設(二人部屋等)を見て隔世の感を抱く。
校内見学では石田副校長がとても丁寧に案内してくれたことと、後半は皆少しバテ気味となりスローペースの
移動になった為時間をとり、予定を大巾にオーバーし約2時間余りを要したがとても思い出に残るものとなった。
(アテンドして頂いた石田先生や段取りして下さった江崎、武部御両名に深謝いたします)
この後安楽島にある鳥羽シーサイドホテルに移動、1630時過ぎチェックインし眼下に広がる蕪子水道(安楽島と坂手島、菅島間の狭水道)
などの素晴らしい景色を眺めながら一風呂浴び1800時宴会開始。
鯛の姿造りを前に全員で記念写真を撮り新来島ドックで活躍する黒崎君の音頭で再会を祝し乾杯、既に鬼籍に入った20名(約三分の一)の
御冥福を祈った後お料理とお酒を楽しむ。
宴会が始まるとすぐに50有余年の時空を一挙に飛び越え気分は元気溌刺とした学生時代に。賄いのおばちゃんが大きな岩塩を放り込んで
朝の味噌汁を作っていたこと、カッターで漕ぎだしたところ強い北風と逆潮に阻まれ帰校出来ず遭難しそうになったこと、マドンナ、ゲットに
情熱を注いだこと、伊勢湾台風(伊勢湾一帯に甚大な被害をもたらし死者、行方不明者約五千名を数える)で寮の屋根瓦が飛び、窓ガラスが
破れ、床上浸水した為全員食堂に非難することになったが周囲の状況を確認している間に食堂が全壊し命拾いしたこと、同台風の為約一か月
余り休校となり授業日数不足となった為、体育祭、カッターレース大会、修学旅行が中止されたこと等、等、話題は尽きずその後は健康維持
の話が中心になる。
お酒片手に席を移動しながら思い出話、近況等を語り合ううちにあっという間に楽しい時間は過ぎ、最後に全員で力強く寮歌を歌い江藤君の
鳥羽商船77期生万歳三唱で9時散会。
席を変え2次回となったが皆疲れの為かお酒も余りすすまず、24時前には床につく。お酒飲み放題のプランはあまり効果を発揮せず。
翌15日朝、ゴルフ組、観光、帰宅組に分かれ元気でなと、声を掛け合いながら散会。
我々77期生の同窓会は古希の祝いを兼ねた前回の集まりから5年振りに開催されたが、おそらく今回が最後(最後の修学旅行)になるだろうと
思われる。スマートな制服に身をつつみ颯爽と街中を闊歩した紅顔可憐な美少年も今は年齢相応の爺っちゃんになり、何人かの現役を除いて
ファイナルステージを迎えようとしていることを考えれば致し方ないのかなと思う。が、そう言わずにまた皆で会おうよとの声もあったので
健康維持に留意し次の機会を得ることが出来ればと願う次第である。
(出席者N科、江藤、大西、佐藤、中西、村田、岩崎、E科、伊藤、江川、大滝、加藤(和)、北村、黒崎、小平、染谷、塚中、内藤、西村、三好)

                                            (岩崎 記)



 78期(国立8期生)クラス会  松浦肇 S36N  2016年11月9日(水) 13:15
H28年11月7日、クラス会がエキシブ鳥羽アネックスにおいて開かれました。総勢29名(うちご婦人6含む)参加と、段々参加者が減っていくのは寂しい限りですが、何人かが後期高齢者の仲間入りとなった年齢ですから、本人の健康状態もさることながら伴侶の健康事情も加わり、やむを得ない欠席の理由が増えてきました。それはさて置き、会場のXIV「白帆」での宴会は、大いに盛り上がり、つかの間、青春時代に戻ることが出来ました。中には、卒業以来の再会場面も加わり、一人2分以内という制限付きのスピーチや同窓会作成の校歌・船歌のCD伴奏での合唱、3時間があっという間に過ぎ去りました。宴会終了後は、ラウンジでピアノ・サキソホンの生演奏が流れる中、おとなしく食後のコーヒータイム(もちろん、アルコールも)に浸りました。
翌日は、懐かしの母校訪問に18名が参加し、百周年記念館や近藤翁記念碑、今は無き旧寮や食堂付近を散策。その後本館会議室で石田教授(副校長)や若手3人の先生方から『最近の学校事情』もうかがいながら懇談することが出来ました。この母校訪問に関しては、学校への根回しや当日の案内など、2期後輩の武部二三男氏(同窓会役員)に大変お世話になりました。この紙面をお借りして、厚く御礼申し上げます。その後、伊勢市の「朱の香(ときのこう)」に移動し、別れを惜しみながらの昼食会となりました。ちなみに、この「朱の香」は、同級生の須永博さんご子息経営のレストラン(パンカフェ)で、ネットで検索すると女性に大変人気のあるお店です。
さて、我々全国ネットの正式クラス会は今回を最後とし、今後は関東・中京・関西の地区クラス会を通じて、随時集まろうということになりました。いつまでも元気に顔を会わせたいものです。

 集合写真は、後列左から
外松伊三夫、穂刈崇明、目黒邦夫、佐藤昭雄、高橋卓、斎藤正、坂倉修、小出哲夫、木澤勝、佐藤要、
飛田喜八郎、伊藤忠彰、小野斗章、森本昇治、大西彰夫、須永博、簗田秀平、杉本嘉隆、水野武史、
 前列左から、
安藤裕、穂刈夫人、松浦夫人、友田夫人、長谷川雅昭、松浦肇、村田勝久、長谷川夫人、坂倉夫人、
水野夫人、
以上29名です。終わり(文責松浦)
 

 海学祭で模擬店など開店  伊勢の人  2016年10月30日(日) 20:40
10月30日、母校で海学祭が開催されましたが、同窓会伊勢志摩支部の有志が「長老庵」模擬店と「中村コーヒー店」を開店しましたので、紹介します。
添付を参照ください。
尚、全ての売上げから材料費を引いた残りは全て同窓会へ寄付しています。

海学祭では「同窓会受付」も本部脇に用意して、同窓生の立寄りを待っていますが、今年は埼玉・岸和田から来られた会員2名のみ。
海学祭にはもっと多くの同窓生が来ていると思います。ぜひとも「同窓会受付」もしくは百周年記念館内の「同窓会事務室」にも寄ってください。
  • 海学祭で模擬店など開店.docx

  •  第4回 下宿「光岳寺」 佐藤要著S36E卒 「法螺吹き海月の航跡」から抜粋  松浦肇  2016年10月28日(金) 11:15
     すべての実習が終了し、学校に戻った。
    そして、昭和37(1962)年10月1日から、6ヶ月間の座学が始まったのである。私は学生寮を敬遠して街の下宿を探し歩き、禅寺の「光岳寺」の山門を潜った。
    「静かなお寺で猛勉強したいのです。ぜひ下宿させて下さい」と頭を下げる私。
    「勉強やるやると言って、やったやつはいない」と和尚。
    「いえ、私はやるんです」と力強く宣言して決まった。
    「静かなお寺で勉強する」と張り切ったものの、やはり慣れるまで気味が悪い。本堂の両端に
    十畳間がある。航海科のM君が右、私が左側の部屋を借りた。二つの部屋は、本堂の裏にある幅一間(いっけん)の廊下で通じている。廊下の壁には、多くの位牌(いはい)や骨壷が並んでいた。
     トイレは汲み取り式で、床より1メートルほど下の大きな甕(かめ)の中に落とす。いわゆるボットン便所である。大や小便器の形や模様を見ると、これぞ厠(かわや)という感じである。
     藪蚊(やぶか)が多く、ボトンと大を落とすと、蚊が驚いて目を覚まし一斉に飛び上がる。その上露出した尻を、所かまわず刺しまくる。そのため、静かに素早く用を足す必要がある。大をもよおしたら静かに厠の戸を開ける。蚊を刺激しないようにズボンを下げて、ソーッとしゃがんで一気に済ませて退散し、戸を閉め、蚊を雪隠(せっちん)詰めにしなければならない。次に縁側から、ゆっくりと手水鉢(ちょうずばち)と竹の柄杓(ひしゃく)を使う。田舎のお寺は風情があって良い。
     お寺には鍵(かぎ)がないので、いつでも出入り自由である。引っ越しを手伝ってくれた後輩たちが毎晩やってきた。アメリカ土産のMJBコーヒーを薬缶(やかん)で沸かし、私の自慢話や体験談を聞いて帰っていく。なかなか勉強が始まらず、少々あせる。しかしよくしたもので、すぐに土産がなくなり後輩たちの試験が近づくと遊びにこなくなった。
     10月も下旬になると、勉強の能率が急上昇した。参考書に記述されている文字が、私の目に飛び込んできて、どんどん脳味噌に吸収され取り込まれていくのが分かる。真夜中は周囲がシーンとなり、まるで「深山幽谷の古刹(こさつ)で修行する僧侶も斯(か)くや」の気分になった。
     ある静かな月の夜、突然「バシャ」と音がして、再びシーンと静寂が続いた。なんだか不気味である。
     次の日もやはり「バシャ」と音がしたので、私はソーッと縁側に出て、しばらく外を見ていた。再び「バシャ」と音がし、月光に照らされた池に、波紋が静かに広がってゆく。
     松尾芭蕉は[ 古池や蛙飛び込む水の音]と名句を残したが、足元にも及ばない私は、[満月に鯉が印した波紋かな]と発句し、汗顔の至りであった。
     年を越して1月のある寒い夜。街へ出て、トリスのハイボールをしこたま聞(きこ)し召した私。 帰り道は少々千鳥足で、寺の山門にたどり着く。立派な御影石の柱に、「不許葷酒入山門」と彫ってある。「心配ない、心配ない。酒は飲んじまったから、持ち込みません」とブツブツ言って本堂の戸をソーッと開けた。脱いだ靴は、両手で抱えて部屋に転がり込む。敷きっ放しの布団にもぐり、あとは白川夜船である。
     やがて暗闇のズーッと向こうのほうで、美しい女性が「佐藤さん・・・」「佐藤さん・・・」とやさしく囁(ささや)く。何度も囁きながら女性が次第に近づいてきて、私の部屋の襖のすぐそばで止まった。酔っ払いの見た夢か現(うつつ)か幻(まぼろし)か。私は目を覚まして「出た、幽霊だ」と身構えたと同時に、美しい声の女性が「火事です、火事です。早く起きてください」と叫んだところで、完全に目覚めて飛び起きた。襖を開けると和尚の奥さんが立っていた。
     本堂のガラス戸はオレンジ色に輝き、火事は近いと判断した。庭に飛び出すと、城址に建つ県立高校が燃えている。風は北風で、このお寺から海の方向へ吹いていた。ヨシッ、お寺は大丈夫。たくさんの参考書類も無事で、近所への延焼もない。酔いもすっかり醒め、冷静さを取り戻して城山への石段を駆け上がった。
     城址では、県立高校の生徒を集めて大声で消火の指揮をしているS君がいた。私は「何だ、彼は生徒を集めて消火を始めたぞ。バケツリレーはちゃんとできているぞ」と感心して見ていた。
     S君の話では、「離島(神島・答志島など)出身者用生徒寮に水をかけている。商船学校と違い、移動式消火ポンプや消火ホースなどはない。掃除用のバケツと若干の消火器のみ。北風だから生徒寮は大丈夫」とのことであった。
     
     私たち同期の桜は、航海科30名、機関科30名が入学したが、5年卒業時には、たったの40名に淘汰されていた。
     私たちは、昭和38年4月に国家試験を受けた。卒業すると、筆記試験は甲二、甲一、甲長までの受験資格があり、口述試験は甲二の受験資格がある。試験は10日ほど続き、合格すると甲種二等機関士(航海士)の免状が与えられる。
     就職先は、半年前から大手船会社に決まっていたが、「甲二の免状と筆記試験甲一以上合格」の条件があった。
     国家試験の合格発表が5月中旬で、私は6月1日付で新和海運株式会社に入社した。やっと社会人1年生となったのである。「三等機関士を命ず」というありがたい辞令と、「本給1万3千6百円給与す」と書かれた給与通知を受け取った。私たち新入社員(航海士、機関士各々5名)は、講習を受けて乗船するが、見習い士官6か月の経験があるので、実務は心配ない。
     私は、昭和38(1963)年7月3日、東京港で「東鳳丸(とうほうまる)三等機関士として初乗船した。

     平成14(2002)年に行われたクラス会で、航海科のM君と下宿の思い出を語った。彼はしみじみと、「光岳寺の和尚さんは、私たちが下宿するためにわざわざ畳を取り替えてくださり、赤字になっただろう。また毎月托鉢をするので二人にもお裾分けもくださり、楽しい思い出が多かった」と話す。
     「二人とも、船長と機関長の免状をとったのが、せめての恩返しだよ」と応える私。
     50年も昔の楽しかった下宿生活。糟糠の妻を伴い、センチメンタルジャーニーと洒落(しゃれ)てみようか。

    (佐藤要S36E卒著作「法螺吹き海月の航跡」から第1章抜粋終わり。同本の内容は、以後第2
     章〜第5章と続きますが、同本は学校図書室と同窓会事務室に各1冊保管されていますので、
     興味のある方はそちらでご覧下さい。文責:松浦肇S36年N)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 

    以前の会員の投稿
    CGI-design