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 太平洋戦争で戦死した先輩の遺族を学校案内  松本 暢生  2011年4月7日(木) 19:14
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伊勢病院で手の怪我を治すため、1週間の入院をした際、同じ病室で昭和3年機関科卒業の大先輩星新一さんのご遺族の方と偶然一緒になりました。
学校には戦死された方々の銘板もあり、慰霊碑も建ててあるので、学校見学に是非おいで下さいとお誘いしました所、3月20日の午後に来て頂きましたので、百周年記念館の中をご案内して、近藤翁顕彰碑の横にある慰霊碑にも参って頂きました。
これまで一度も学校に御出でになった事もなかったので、このような慰霊を学校で行っている事はご存じなく、非常に感激されてお帰りになりました。
ご本人のかすかな父親の思い出として記憶にあるのは、4才の頃、ドックに行って楽しかった事があるそうですが、亡くなられた先輩の心情を察すると、平和な時代に外国航路に乗船できた幸せを強く感じました。 以上

 東北地方太平洋沖地震  狭山市もみたん  2011年3月31日(木) 17:25
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今回の大震災では同窓生の皆様ご無事で何よりです。
しかし、ご家族、親戚、友人には被災され大変ご苦労されている方もいらっしゃると思います。
改めてお見舞い申し上げます。

今回の地震では仙台の息子の事がとても心配でした。
リアルタイムに津波の画像が送られてきている。名取川の見慣れた景色に津波が逆流してきている。
「アッ、息子の家が・・」次の瞬間、逃げられたのかしら?無事でいて!
もう携帯も電話も繋がらない、そうだ!災害伝言版だと、すぐさまインターネットから検索した。
お嫁さんの携帯番号入力、「今、市役所につきました。取りあえず無事です。大変なことになっています」
それから2時間後息子は、「六郷中学校についた、無事」とあった。その後、市役所で合流したらしい。
良かった!生きていた!
家は流されても命は助かった。

息子の住んでいるところは名取市でした。
広域避難所は日和山という所で海抜7mとのことでしたが、お嫁さんはそれを知らずに便利そうな市役所をめざしたと言っていました。
反対車線(海方向)は車の渋滞、彼女が行く方向は空いていて、ここが運命の分かれ道になってしまったのですね。

夜は寒く、ガソリン不足も知らなくて車の中で暖をとって休んだとか。
すやすや寝ている孫の写真がブログにアップされていました。
携帯は繋がりにくく、携帯からブログにアップしてくることで息子たちの情報を得ることができました。

若い二人、これからやり直せる、頑張れ!
こちらからは何も手伝いできない歯がゆさを感じています。
ライフラインが復活したらすぐさま迎えに行ってやろう。抱きしめてあげたい。

こんな状態でした。
毎日たくさんの方からお見舞いのメールやお電話を頂き、ありがたさを実感しています。


 東北地方太平洋沖地震体験  茨城人  2011年3月22日(火) 16:02  Mail
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私は11日の当日、茨城の実家で田舎暮らしをして地震に遭遇しました。
後で調べたら、震度6弱とのことでしたが、勿論経験のない揺れで立っていられない位でした。当時外にいたのですが太い庭木が揺れて怖い位でした。
一応治まって、各部見回りましたが、風呂のタイルの一部が崩れた位で屋根の瓦も無事で、大きな被害はないようで安堵しました。周囲は瓦の一部が崩れたり、大谷石やブロック塀が倒れた家もありました。

その瞬間から停電、断水となり、電話も通じず原始的な生活を余儀なくされました。
翌日、XXの家族と連絡がとれこちらは無傷であることが判明し安心しました。

道路や橋もダメージがあり、各所で通行止めになっているとのラジオニュースでした。
常磐高速も常磐線も不通でした。
それとガソリンが入手できませんでした。私は通常なら充分帰れる量のガソリンは持っていましたが、渋滞があったりなにかあれば途中で給油できないことが予想されたのでそのまま留まっておりました。

停電で暖房がなく、蝋燭の明かりでラジオだけがニュースソースでした。それでも私一人でしたのでもうXX歳まで生きてきたのだから、それ程惜しい命でもないと考えたら非常に気持ちが楽になり、強い余震も度々ありましたが、フトンの中で「又か」と思いながら寝ておりました。

困ったことは食事でした。炊飯器が使えないので、近所の奥さんにおかゆの炊き方を教えて頂いて何とか凌いで来ました。14日の早朝電気が復帰しほっとしました。

15日に水戸−東京間の常磐高速が通行可能となり、16日午後XXに帰ってきました。

小生の経験から、非常食はカップ麺と缶詰めが便利です。電池の買い置きは絶対必要です。
未だ、避難生活をされている方には申し訳ありませんが、普通の生活ができる有難さを噛みしめてます。
昨日義援金を小額ですが募金に応じてきました。

後日、知ったことですが、電話専用ラインは通話できたようです。ファックス付の電話は停電だと使えません。
(小生宅はファックス付なので使用不能でしたが、近所の電話は通じることが解り借りて家族と連絡とりました。
携帯は全然通じない間にバッテリが切れて、チャージできずに結局何の役にも立ちませんでした。
ラジオは少し良いものを持つべきです(単U電池の物が長持ちして安心です)
茨城放送というローカル放送が非常に有意義でした。
東京の放送は主に東北の大きな被災地の状況と原発のニュースで自分達の知りたい情報はローカル放送が何よりでした。


 東北地方太平洋沖地震  伊勢の人  2011年3月13日(日) 19:49
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3月11日はたまたま仕事で東京の品川にいました。
午後の地震で、仕事は中止、帰りの際、電車が止まっており、タクシーはつかまらず、結局、横浜の宿まで24km、6時間歩いて帰りました。
普段歩いたり運動をしているのが役に立ちました。(今になって疲れが出てきていますが)

会員の皆さんのご無事を祈っております。


 『健康一番 スコアは二番』 関東支部親睦旅行  関東 支部左衛門  2011年3月2日(水) 23:33
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関東支部親睦旅行 西伊豆『戸田会談」の前、
 健康促進を目的とし、有志でゴルフを楽しみました。

  天候は、「快晴」  プレイは、「雨のち曇り、たまに晴れ」
   会話も足取りも軽快 ♪♪♪  楽しい時を過ごしました。

     プレイ後は、休息も取らず・・・
          Full Speedで 次の会場へ Go ahead !
    
               修善寺CCにて 辻会長を囲んで・・

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